2015-03-27   diary 

いい子ぶるのが好き

いい子ぶるのが好きである。優等生的な発言をしたり、正論を言うのも好き。人のことを思いやる言葉も好き。

苦手なのは、というか、自分では取らない行動は「偽悪」です。ワルぶる、みたいなことは苦手。偽悪よりは偽善を選ぶ傾向がある。

別に無理をしているわけではない。自分の心を押し殺していい顔したいとか言うのではない。優等生的な発言の方が自分にはしっくりくるし、心も穏やかになるし、自分自身が励まされる。優等生気質なのかもしれない。

狂ったふりをして町の大通りを走ってばかりいたら、それはふりではなく狂っている。それと同じように、いい行動やいい言葉を使うふりをして町の大通りを歩いてばかりいたら、それはすでにふりではない…といいな。ダックタイピングである。

汚い言葉や人を罵倒する言葉、否定的な言葉が苦手である。神さまは「光あれ」という言葉で光を生んだ。プログラマは言葉ですべてを作る。信仰告白で救いを得る。だとしたら、否定的な言葉は否定的な世界を生み出すのではないか、と思っている。

習慣である。物事の良い面を見る。より深く掘り下げて良い解釈を探し出す。その小さくても大切なポイントを適確に表現し、記憶する。ああ、今日も(大変だったけど)いい一日だった、感謝!と毎日言い続ける。そんな毎日で自分の人生を満たすことができたら、それは幸福な人生ではないか。

愛にあふれた言葉も、毒にみちた言葉も、自分が発する言葉を最初に聞くのは自分の耳である。他の人に向けた祝福も、呪詛も、浴び続けるのは自分自身である。

そんなふうに思っている。

 2015-03-27   diary